「がんばれない自分」を認めよう。
今日もコツコツやってますか?
Voicyパーソナリティのイケハヤです。
メンタリストDaiGoさんの話題を引っ張って申し訳ないのですが、これは大事な観点なので語らせてください。
「がんばっている(ように見えるか)と、生存権は関係ない。
「ホームレスの命はどうでもいい」「生活保護のために税金を払っているわけではない」といった差別的、攻撃的な発言を行ったメンタリストDaiGo氏。
さすがにこれはダメでしょう、ということでぼくも反論記事を書きました。
DaiGo氏は当初「謝罪しない」と表明していましたが、その後、あらためて謝罪の動画をアップしています。よかったです。
ここで終わりにしないのはちょっと意地悪になってしまうんですが、でも、ちょっと謝罪の文言が、いまいちわかってない感じで気になるんですよね……。
以下、「メンタリストDaiGo氏のYouTubeにおけるヘイト発言を受けた緊急声明」から引用します。
「ホームレスの人とか生活保護を受けている人は働きたくても働けない人がいて、今は働けないけど、これから頑張って働くために、一生懸命、社会復帰を目指して生活保護受けながら頑張っている人、支援する人がいる。
僕が猫を保護しているのとまったく同じ感覚で、助けたいと思っている人、そこから抜け出したいと思っている人に対して、さすがにあの言い方はちょっとよくなかった。
差別的であるし、ちょっとこれは反省だなということで、今日はそれを謝罪させていただきます。大変申し訳ございませんでした」
と謝罪の言葉を述べたのです。
しかし、ここで示された考え方は、他者を評価する基準を「頑張っている」(と自分から見える)かどうかに変えただけであり、他者の生きる権利について自分が判定できると考える傲岸さは変わりません。
そう、ここなんです。
DaiGo氏はさすがに強く意識して発言はしていないと思いますが、「頑張っているかどうか」は関係ないんですよね。
彼の謝罪は、「頑張っている(と判断できる)人がいて、その人に対して申し訳なかった」という射程にとどまっているように見えます。
ここには「頑張っていない(と判断できる)人」は含まれません。
厳しいようですが、これでは謝罪文として十分ではないと言われても仕方ないかな、とも思います。
「頑張らない怠け者は、税金で救う価値がない」
というのも、生活保護バッシング、あるいはホームレスに対する差別のなかでは……
「路上で寝転んでるだけの役立たずの怠け者に税金を使うな!」
「生活保護は甘えだ!働け!」
「生活保護は頑張ってる人のためのものであって、働かずに怠けようとしている人のためのものじゃない!」
みたいな意見が、それはもうテンプレのように語られるんですよ。
こうしたロジックは明らかに間違っているのですが、一見すると正しいようにも見えてしまうから、恐ろしいんです。
何が間違っているかは、懸命な読者は気づくでしょう。
もったいぶらずに答えを書くと……。
ある人が「怠けているかどうか(or 頑張っているかどうか)」を、第三者が正確に判断することは原理的に不可能である。
この点が、ロジック上の間違いになっています。
こんな曖昧で恣意的な判断軸で、助けるか助けないかが決まるとしたら、そんな恐ろしい社会はありません。
生活保護費でパチンコに通う人は、怠け者なのか。
たとえば。
ある生活保護受給者が、生活保護費でパチンコに通っているとします。
多くの人は、その姿を見て、猛烈にバッシングします。
「税金でパチンコに通うな!怠けるな!働け!役所はこいつの受給資格を停止しろ!」
でも、ぼくは、この人はこの人なりに、めっちゃ頑張ってると思うんですよね。まったくもって怠けてない。超がんばってる。
というのも、まず、こういう人は「ギャンブル依存症」です。
これは、れっきとした病気です。病気というのは、苦しいものです。パチンコに通ってはいけないことは、本人がよくわかっています。
それでもなお、パチンコをやめられない。このままじゃよくないとはわかってるけど、どうしても、やめることができない。先が見えないけど、何をしていいかもわからない。あぁ、今日もパチンコに行ってしまった。
ぼくは、これかなり頑張ってると思いますけどね。よく、しんどい状況を耐えられているな、とすら思います。
労働していない投資家は怠け者だ、と言われた話。
「怠け者」といえば……。
ぼくは仮想通貨投資を本業にしてますが、先日、ツイッターでこんなクソリプをもらいました。
「仮想通貨投資なんて虚業だ!詐欺師!働け!怠け者!」
というわけで、イケハヤは怠け者(で詐欺師)だそうです。
「怠け者は生活保護を受給できない」としたら、イケハヤは受給できませんね。厳しい!
わかりましたか?
ある人が怠け者であるか、あるいは、頑張っているかどうかは、完全に主観の問題なんです。
ぼくにとっては、人類はみな、がんばってます。
苦しい現世をよく生きてますよ、みんなほんとに。
一方で、ある人にとっては、投資家は全員「働かない怠け者」です。
怠け者なので、生活保護を受けられないし、ホームレスになっても放置されます。えぇぇぇ……。
こんな適当でゆるふわな基準が、生活保護の受給に関わるとしたら、マジで地獄ですよね。
「路上で寝転んでいるだけに見えるホームレス」だって、みんな、がんばってるんですよ。そもそも、それぞれにどんな事情があるかもわからんじゃないですか。
にもかかわらず「ホームレスは怠け者だ」と断罪できるとしたら、それは無知、傲慢なのです。
がんばらなくてもいいじゃない。
少し話は変わりますが……。
「自分は、いま頑張っているか、怠けているか」という実感は、ぼくらの人生に対して悪い影響を与えることがあります。
あなたは最近、頑張ってますか?
それとも、最近、怠けちゃってますか?
もしも怠けているとしたら、そんな自分について、どう感じますか?
現代社会において「怠けること(頑張らないこと)」は悪だと捉えられがちです。
もしも自分が怠けていたら、それは悪い状態だと考える人が大半だと思います。
でもですね。
そもそも、頑張ることは、実はけっこう難しいことなんですよ。
現在の状態を、勇気を出して、ちょっとした無理をして、変化させるということですから。
よく、「うつ病になると頑張ることができなくなる」って言いますよね。
これは別にうつ病にかぎらない話で、ぼくら人類、誰もが頑張ることができない状態に、大なり小なり陥るものです。
ぼく自身は寝不足だと頑張れませんし、二日酔いでも頑張れません。低気圧でテンションが上がらない日も、いまいち頑張れませんね。
頑張れないこと、あるいは頑張らないことは、特別な状態じゃないんです。
にもかかわらず、現代社会では「頑張らないやつはダメだ」といった呪いが掛けられています。
ゆえに、ぼくらはたまたま自分が頑張れない状態に陥っていると
「あぁ、自分は頑張れないダメな人間なんだ」
と自信を失いがちです。
こんなことで自信を失うことは、なんの得もありませんし、そもそも勝手な思い込みです。
頑張れない状態は、むしろ人間として自然だからです。
ようするに、頑張れなくても、頑張らなくてもいいんです。
怠けることは悪ではない、ごくごく自然な状態です。
その上で、頑張れるときは、頑張りたいときは、勝手に頑張ればいいと思います。ぼくもそうしてます。
「頑張らないといけない」という呪いは、若いうちに解いておかないと、あとで面倒なことになります。
それこそ、こじらせて「頑張らない怠け者には、生活保護を受給させるな!」とかヘイトスピーチを繰り出すようになったり……。
あるいは、無理して頑張って頑張って頑張って、うつ病になってしまって頑張れない自分を無限に責めて、立ち直るまでに時間が掛かったり……。
まずは、頑張れないときもある自分を認めましょう。
そして、頑張れないときの自分ですらも、なんだかんだで頑張ってることにも気づきましょう。
そして、頑張っていないように見える誰かについても、自分と同じように、「頑張れないなりに頑張っている」と理解しましょう。
「頑張っているかどうか」などという主観的な判断を一度捨てることで、自他に対して、ずっと優しくなれると思いますよ。
それではみなさん、よい一日を。